2005年05月29日

雑感 ~思いつくままに~

 健康被害の原因究明と不燃ごみ杉並中継所の稼動停止を求めて、被害者たちは「杉並病をなくす会」を結成した。公調委原因裁定の申請も活動の一つである。また「市民オンブズマン杉並」のメンバーとして、毎月の集会に出席し、記者会見や杉並区長との話し合いを重ねた。「市民政調」では国会議員、政府や自治体の役人と被害者、その関係者で市民政策円卓会議を度々開いた。

 全国組織の「化学物質過敏症患者の会」にも参加し、集会や政府交渉にも積極的に関わった。杉並病被害者として現在も続いている。また「健康被害者支援科学者グループ」は裁定後も独自の活動を続けている。公調委裁定後に発足した「杉並病をなくす市民連絡会」は杉並区に対し、ごみ減量、中継所廃止、杉並病救済を要望している。今後に期待したい。

 これという改善策を講じないまま「杉並病は終わった。中継所は安全」という区の宣言によって問題が持ち上がっている。杉並中継所と同じ規模、それ以上の規模の施設が各地で建設あるいは計画中のため、安全性をめぐって住民運動が起きている。第二、第三の杉並病を危惧しているのである。

 ノーベル平和賞受賞者ワンガリ・マータイ博士は「『もったいない』という言葉には、自然を尊敬する精神、有限な資源を効率的に活用する精神が含まれています」と語っている。生命の尊厳と環境の大切さを同次元でとらえ、自身の住居の周囲に植樹することから行動をおこし、世界平和と地球環境を展望した偉大な女史である。地域の問題が如何に大切か。私たちもいま一度考えてみたいと思う。

 奈良県桜井市で住民が気付かぬうちに、産業廃棄物の山が出現し、杉並病に似た被害者が出て、地下水の汚染から農作物の汚染の心配まである公害問題が起きた。年月が過ぎるにつれて関心が薄れることを案じた友は、古都の環境を守り、人々の心を目覚めさせようと、菜の花プロジェクトを立ち上げた。全国に広がっているネットワークである。春は一面の美しい花を楽しみ、蜂蜜をとり、種子から食用油を採る。廃油はバイオ燃料や洗剤にする。搾りかすは有機肥料になるという。
 産廃で汚れた地域を資源環境で豊かな故郷にという願いが込められている。山の辺の道に古(いにしえ)の豊かな心が花開いて、旅人も楽しませてくれるであろう。

 さて、解決には程遠い杉並病問題をかかえた中継所周辺では、人の心にどんな種子を播けばよいのだろうか。

2005年05月15日

杉並病は今も続いている

 不燃ごみ杉並中継所から被害を受け、小平での避難生活を経て、娘たちと練馬区で生活を始めてから3年が過ぎた。1996年の中継所の操業から9年の歳月が流れたことになる。公害等調整委員会の裁定があり、損害賠償の話があったにもかかわらず一向に事態は好転していない。今の住居は中継所から2kmしか離れていない割に、化学物質過敏症の身にとって許せる空気ではあるが、井草の状況が手に取るようにわかるのは悲しい。東風に乗って流れてくる汚染空気を感知して、井草森公園や周辺の植栽の手入れ、度々の運動場の芝刈りなど察してしまう。

 2003年に行った「杉並病をなくす市民連絡会」の健康調査によると、被害者の分布は中継所を中心に数を増し拡がっている。そして倦怠感や朦朧感、針に刺される感じなど、内科医の大谷先生が公害等調整委員会で証言されたような重症者の割合が高くなっている。その上10代の女性にまで鼻下や顎の鬚などの訴えがある。

 Sさんは雨が降る前の空気の重い日や気温の上がる時の外出を控えているが、やむを得ず外に出ると体中に木綿針が飛んでくる感じがして涙が溢れ出すと話す。ある人は自転車に乗っているとき、車を避けようとして混乱をおこし、逆にこちらから車にぶつかっていってしまったという。なんともやりきれない恐ろしい話である。多くの方が空気の悪さも感覚の異常にも気づいていないように思う。杉並病を考える学習会で「重症者の中には汚染空気を感じない人がいる」との講師の話が実感として伝わってきた。

 体がだるくてだるくて仕事もできず、病院の検査でもわからず、家人にも理解されずに亡くなった男性。具合が悪くても検査の結果は異常なし、何がなんだかわからぬまま、救急車も間に合わず亡くなった女性。肺が悪くて入院し、肺が白くなって病名もつかぬまま死亡した60代の女性2名など数え上げればきりがない。
 杉並病は転居しても即、治癒する性質の病気ではない。次から次と変わった症状が出てくるのが特徴でもある。肺の変性上皮細胞炎の診断を受けた私は、前向きに懸命に公害と闘うことで克服できたことを幸いに思う。

 Sさんは病んだ身体で季節ごとに植物の写真を取り続けている。自宅を開放しての写真展を見るに、樹木の傷みや汚染空気の流れが一目瞭然である。彼女は「植物の傷みの激しい所には必ず病人がいる」と言い切る。そして植物の葉や窓ガラス、家の外壁、塀などに小さなピカピカ光るものがいっぱい付着していることを不思議がっている。

 杉並病は終わったのではない。現在も空気の汚染が続いていることを認識し、一人ひとりが自覚しない限り、症状や事態は悪化し問題の解決は遠くなるばかりである。

2005年05月08日

損害賠償は貰っていない

 東京都が不燃ごみ杉並中継所を原因場所として、健康被害者に損害を賠償するとしたことが2度ある。しかし、だれも貰っていない。


1.健康被害の原因は排水の硫化水素

東京都は2000年3月31日に健康被害の原因は排水の硫化水素であると発表し、都知事は陳謝した。

(1) 2000年7月損害賠償決定。対象100人。総額3000万円。

(2) 2000年9月から11月まで損害賠償手続き受付。
・硫化水素による被害として1996年3月から8月までの発症者。
・下水道の影響ありとする限定地域。
・都は29人・杉並区は58人(対象外も含む)・練馬区は87人(対象外)に申請書類を郵送。

(3) 2001年1月、都は賠償請求手続きをした6名全員に、因果関係を認めず請求を退けた。

(4) 問題点―信用できない理由
・下水道の硫化水素を原因としながら、指定地域は下水道とかけ離れた地域も含まれている。
・指定地域以外にも申請書類が郵送されている。
・公調委の申請人は硫化水素原因説を否定しているため、誰ひとり申請手続きを行っていない。


2.健康被害の原因は中継所排出による化学物質

2002年6月に下った公害等調整委員会の裁定に従って決定した。

(1) 2002年11月、公調委で認められた申請人14人に申請書類を送付。14人以外の健康被害者に対しても申請書類の求めに応じた。
・1996年4月から同年8月までの発症者。
・指定地域を詳しく記載。硫化水素のときより練馬区に広げている。
・審査・賠償基準・請求方法など詳しく記載。

(2) 都の健康被害認定審査会は損害賠償を請求した1人に対し、因果関係を認めず請求を退けた。

(3) 問題点―信用できない理由
・ほとんどの被害者は指定期間が発症初期のため受診しなかったり、診断書を必要とも思わなかったため、医師の診断書・診療報酬明細など、揃えることは不可能である。
・症状の部位・症状例まで記載があるが、化学物質被害は広範な症状があり、しかも指定期間後に悪化しているのが大半である。
・公調委の申請人や他の被害者も、僅かな賠償額で根本的な問題が隠されてしまうことを恐れ請求しなかった。

2005年05月01日

公害等調整委員会の裁定

 2002年6月26日、審議が始まって5年を経て「公調委 杉並病における不燃ごみ中継施設健康被害原因裁定申請事件」の裁定が下った。分かりやすく書くと次の通りである。

1.健康被害の原因は中継所から排出される化学物質であると裁定が下ったものの、操業当初の1996年4月から同8月までの5ヶ月についてのみである。

2.申請人18人のうち14名のみ、中継所から排出の化学物質による健康被害を認められた。

 東京都は、健康被害の原因は、中継所の排水の硫化水素によるものであると主張してきたが退けられた。中継所周辺の健康被害の原因が中継所の排気による化学物質と認められたことで、大気汚染の公害裁判としては、一歩前進といえるかもしれない。しかし、操業開始の1996年4月から8月までの5ヶ月に制限したことは、どうしても腑におちない。どうも、一番大きな理由は、健康被害の届出が、この期間に集中し、9月からは減少しているということらしい。

 中継所を取巻く条件は何も変わっていないのに、被害がなくなる理由はない。「報告しても何も対処してくれない。プライバシーを守りたい。体の異常に気がつかない。転入者は被害の事実すら知らない。そのうえ過敏な人は早い時期に発症した。だから時間の経過と共に、分からなくなり届けない」という図式だ。

 本当に被害は治まったのであろうか。発症者は治癒したのであろうか。大気からの化学物質が体に侵入することは、そんな生易しいものではない。転出しても尚、化学物質被害を引きずっている人を何人も知っている。長年研究されている専門の先生方の話に耳を傾けるべきだと思う。

 終わりに裁定委員会の意見を書きとめておきたい。

 「化学物質の数は2千数百万にも達し、その圧倒的多数の物質については、毒性をはじめとする特性は未知の状態にあるといわれている。このような状態のもとにおいて、健康被害が特定の化学物質によるものとの主張、立証を厳格に求めようとすれば、それは不可能を強いることになると言わざるを得ない。本裁定は、原因物質の特定が出来ないケースにおいても、因果関係を肯定することができる場合があるとしたものであるが、今後、化学物質の解明が進展しこれが被害の救済に繋がることを強く期待するものである。」