2005年04月04日

健康被害者の周辺

 小平で6年もの間、杉並中継所問題に立ち向かい、自身の健康の建て直しを計った。泣いたり笑ったりの生活は60代半ばになった私の人生に大きな試練と宝ものをもたらした。

 小平駅近くに転居した被害者たちに、井草からも加わって「井草の空気と健康を考える会」(後の杉並病をなくす会)を立ち上げ、活動を開始し会を広げた。専門家や弁護士に相談し政治家にも会った。都と杉並区に陳情のため、署名運動に駆けた。「市民オンブズマン杉並」にも名を連ね、Tさんを中心に何度も手作り集会を開いた。そして被害の話を請われると、それぞれが出かけて実情を訴えたりもした。

 丁度このころは、マスコミの取材合戦が始まり、新聞の掲載、テレビの放映も続いた。井草で取材を終えて転居先に見えると、化学物質過敏症の私たちは、井草から取材を終えたスタッフの衣服や機材に付着してきた科学物質に反応して、必ず具合が悪くなってしまう。電車で井草付近を通過しても、被害を受けた空気を感知して、目や鼻・口の廻りがおかしくなり咳まで出るため、マスコミの人たちに「歩くセンサー」とか「人間センサー」とか言われた。「杉並病」という病名も、杉並中継所周辺でおきた健康被害に、マスコミが名付けたものである。

 不燃ごみ杉並中継所の稼動停止と健康被害の究明を求めて活動を始めると、思いがけない症状が起きるようになった。個人差はあるものの、血圧が上昇する・体温が上がったり下がったり・脈拍は早鐘のように打つ。下痢のため何度も途中下車してトイレに駆け込む。井草にいる被害者は方向感覚が狂い、自分のいる場所がわからなくなる。住民だけではなく、水道メーター検針の女性が同じところをぐるぐる廻って、次のところにいけないという話も度々耳にした。そういえば私も、上井草の銀行から出て来て自分がどこにいるのか分からず、しばらく立っていたことがあった。

 信じられないような本当の話で苦悩しながら、被害者は増加し、症状も重くなっていった。そんな状況の中で都の清掃部の担当課長のふたりは、新宿区民5名を前にして言い放った。
「あの人たちは政治的意図を持った井草森公園への反対運動集団である」
「過敏症は精神的要素の強い病気、集団ヒステリーにすぎない」

 花粉症の解明には20年も要した。大気汚染による化学物質過敏症の究明が進んだとき、どう責任をとるつもりなのだろうか。生まれた子どもが成人式を迎えてからでは遅すぎる。少子化といいながら化学物質過敏症で働けない人が増えるとどうするのだろうか。

trackbacks

trackbackURL: