2005年04月25日

住民による健康調査

 1996年の健康調査以来、「杉並病をなくす会」を中心に住民側は自分たちの手で、毎年アンケート調査を行っている。1999年杉並区の疫学調査と時を同じくして、8月に実行委員会を立ち上げ「健康被害アンケート調査」を実施した。不燃ごみ杉並中継所周辺500m内にアンケート用紙を配布し、353名の回答を得た。

 杉並区の疫学調査では「調査時1年未満では、健康被害は沈静化している」と結論づけたが、それとは裏腹に実行委員会が行った健康調査では深刻な状況が浮彫りになっている。殊に自由記述では、1人ひとり異なった発症経過が読み取れる。1年未満の発症者は20名以上あり、20歳代の女性の訴えが目立つ。杉並区の調査は30歳以上を対象にしているが、実行委員会は年齢に制限をしなかったため、30歳以下、10代や子どもの訴えまである。

 限られた調査票に書ききれないものも多く、世話人にいろいろと情報が入ってくる。その中から拾ってみることにする。

・顎に髭のある女性が複数あり、そのうち60歳代の1人は検査の結果、男性ホルモンが青年と同じくらいあった。その上、乳房が大きくなり若い女性のように張ってくるという。70歳過ぎの女性にもである。

・中継所に近い練馬区の女性は、操業当初の1996年夏ごろから具合が悪く、日を追って悪化した。医者は診断がつかず、救急車で運ばれて入院したが治らず、悪くなる一方だった。長年勤めた職場も定年を待たずに退職に追い込まれた。この頃になって、初めて杉並病のことを知ったのである。抱きかかえられて北里研究所病院で受診し、化学物質による重症の症状と診断されている。

・学生寮の寮母さんは流星を見ようと夜中すぎ、あわててソックスを片方だけはき、サンダルをつっかけて芝生の庭に出た。朝になって素足だった方だけ、赤くただれているのに気がついた。

アンケート調査の回答の中に、足裏の皮がむけるという記述がある。私も経験していたので、草むらに溜まった化学物質と体調の悪さを想像した。

 公害等調整委員会で証言された大谷育夫先生は、アンケート調査と被害者の問診から「咳・のどの痛み・目の異常をはじめとして長期に亘る疲労感の訴えや、繰り返す感冒様症候、足底部に針を刺されたような痛みのある者も多い。そして多くの人たちが訴えている症状をみると、中枢神経系・自律神経系・内分泌系・免疫系とすべての器官・臓器に影響があり、さらに精神状態にも重い影を落としている。これは通常の検査ではほとんど異常が出ないのが現状で、まさに化学物質の被害による症状と言える」と話している。
 
 自治体の手で、もっと個別に調査する必要があると痛切に感じた。

2005年04月17日

行政による調査

~井草森公園周辺環境問題に係る健康調査~

 1999年5月、杉並区は委員会を設け井草森公園周辺環境問題の疫学調査を行った。調査票を郵送し後日回収の形を取り、井草の比較対象地区として、永福・久我山・和田を選んだ。30代・40代・50代・60代、男女各100名、1地区800名、計3200名を無作為抽出した。回収率は72.5%である。

 同年9月疫学調査の結果が以下のように発表された。

(1) 3年から1年前(調査時から逆上って、つまり1996年操業時~1998年5月)の期間は、健康被害と杉並中継所との相関関係を認める。
(2) 1年未満(調査時の1年前から調査時まで、つまり1998年6月~1999年5月)については健康被害は沈静化している。

以上の結果を踏まえ、山田宏杉並区長は「徹底した原因究明が課題」と公表した。そして今後の区としての取り組みを計画したのである。
 
 実はこの調査結果には問題がある。割合(パーセンテージ)の算出方法が間違っていると言う専門家の指摘がある。正しい方法で計算すると (2) の1年未満も健康被害は治まっていない。現に今も健康被害者は増加し重症化している。「今はすでに健康被害は治まっている」という結果報告のために、被害者は現在も苦しみ続けているのである。


~杉並中継所周辺環境問題調査委員会~

 1999年11月、東京都は柳川会長以下会員12名で上記委員会を発足させた。杉並区からは保健所赤穂保所長(当時)が参加した。

 会に先立ち予備調査として都の職員が不燃ごみ杉並中継所周辺の被害を訴えている住民宅を訪問し聞き取り調査をすることになった。被害者たちは今度こそ救済対策を立てて頂けると期待した。ところが被害者宅を訪問した職員は「いつごろ臭ったか。日時は?どんな臭いだったか?」など臭気のことばかりで、健康状態についての質問は皆無だった。そして、どういうわけか地元の重症者宅へは足を運ぶこともなかった。

 委員会は4回(うち1回は非公開)開催され、最終の2000年3月31日に次の通り結果発表があった。

(1) 杉並中継所周辺の健康被害は、下水道に混入した有機物が腐敗して発生した硫化水素が原因である。
(2) 公園の添木に使ったクレオソート油も健康被害の要因である。

 開園2年も前に使ったクレオソート油原因説は論外として硫化水素については、損害賠償の項で述べたいと思う。いずれにしても石原東京都知事が陳謝したのは事実である。

 結果発表の翌日の2000年4月1日、杉並中継所は東京都から杉並区に移管された。

2005年04月10日

公害等調整委員会に関して

 不燃ごみ杉並中継所周辺の健康被害関係者18名は1997年5月、公害等調整委員会に原因裁定を申請し、7月に受理された。第一回審問の同年9月から、第20回2002年4月審理終結、6月裁定まで5年を要したのである。

 申請人本人の尋問は私も含め4名。1番早く身体の異変に気づいたTさんは、自身の受けた被害と共に、中継所周辺全体の被害について詳しく言及した。
 学生寮寮母Kさんは、寮生の咳込みがひどく、田舎に帰ると治まるが寮に戻ってくると、体調は悪化し咳も激しくなる。やむを得ず退寮していく学生が増えたことを涙ながらに訴えた。

 Sさんは中継所西出口付近で友人と立ち話をしているとき、排気塔方面から大きなふわふわしたグラスファイバーのようなものが飛んできて、見とれているうちに、その中にすっぽり入ってしまった。この後、咳が止まらなかったことを話した。それは固体だったか、ガス体だったかと何度も質問を受けたが「わかりません」と言った。Sさんの撮った写真の中に、大きな雲のような影のあるものが何枚もある。グラスファイバーの様なものとの関係はどうなのだろうか。

 参考人として専門家の証言が相次ぎ、眼科臨床研究の宮田先生、疫学の津田先生の話は、明快で心を揺さぶられた。内科医の大谷先生は夫人も被害者であり、被害者の聞き取り調査、健康アンケート調査の分析など、関連付けての話には説得力があった。

 杉並中継所に勤務して1年余りの東京都の職員は、参考人としての証言の中で、中継所の稼動状況を次のように述べた。
  朝   8時25分頃 - コンパクター始動 
       8時50分頃 - 作業開始
  夕方  3時30分頃 - 作業終了
       4時      - コンパクター機器停止
  コンテナ車は通常、朝8時30分、早ければ8時に搬出を始める。

 ところが機器停止後、中継所に1晩留め置かれたコンテナ車7、8台は早朝7時頃、守衛や職員の出勤以前に、数珠つなぎになって搬出する。そのときの空気の悪さは、ただごとではない。この現状をKさん、写真家のTさんなど幾人も目撃している。それに2004年秋の環境モニタリング調査で、初めて調査した場所で化学物質の異常に高い数値が検出されている。それでも行政側は基準値がないのだから、問題はないと言う。中継所の中は何も問題はないとして、汚れた空気をそのまま屋外に排出しているとすれば、許すことは出来ない。

 中継所西出口(コンテナ車搬出口)の前にある学生寮の寮母や寮生の健康被害、また植物の枯れや傷みの発生も当然と言える。この西出口は、排気塔・換気塔と併せて汚染物質の排出口であることは間違いないと思う。

2005年04月04日

健康被害者の周辺

 小平で6年もの間、杉並中継所問題に立ち向かい、自身の健康の建て直しを計った。泣いたり笑ったりの生活は60代半ばになった私の人生に大きな試練と宝ものをもたらした。

 小平駅近くに転居した被害者たちに、井草からも加わって「井草の空気と健康を考える会」(後の杉並病をなくす会)を立ち上げ、活動を開始し会を広げた。専門家や弁護士に相談し政治家にも会った。都と杉並区に陳情のため、署名運動に駆けた。「市民オンブズマン杉並」にも名を連ね、Tさんを中心に何度も手作り集会を開いた。そして被害の話を請われると、それぞれが出かけて実情を訴えたりもした。

 丁度このころは、マスコミの取材合戦が始まり、新聞の掲載、テレビの放映も続いた。井草で取材を終えて転居先に見えると、化学物質過敏症の私たちは、井草から取材を終えたスタッフの衣服や機材に付着してきた科学物質に反応して、必ず具合が悪くなってしまう。電車で井草付近を通過しても、被害を受けた空気を感知して、目や鼻・口の廻りがおかしくなり咳まで出るため、マスコミの人たちに「歩くセンサー」とか「人間センサー」とか言われた。「杉並病」という病名も、杉並中継所周辺でおきた健康被害に、マスコミが名付けたものである。

 不燃ごみ杉並中継所の稼動停止と健康被害の究明を求めて活動を始めると、思いがけない症状が起きるようになった。個人差はあるものの、血圧が上昇する・体温が上がったり下がったり・脈拍は早鐘のように打つ。下痢のため何度も途中下車してトイレに駆け込む。井草にいる被害者は方向感覚が狂い、自分のいる場所がわからなくなる。住民だけではなく、水道メーター検針の女性が同じところをぐるぐる廻って、次のところにいけないという話も度々耳にした。そういえば私も、上井草の銀行から出て来て自分がどこにいるのか分からず、しばらく立っていたことがあった。

 信じられないような本当の話で苦悩しながら、被害者は増加し、症状も重くなっていった。そんな状況の中で都の清掃部の担当課長のふたりは、新宿区民5名を前にして言い放った。
「あの人たちは政治的意図を持った井草森公園への反対運動集団である」
「過敏症は精神的要素の強い病気、集団ヒステリーにすぎない」

 花粉症の解明には20年も要した。大気汚染による化学物質過敏症の究明が進んだとき、どう責任をとるつもりなのだろうか。生まれた子どもが成人式を迎えてからでは遅すぎる。少子化といいながら化学物質過敏症で働けない人が増えるとどうするのだろうか。