2005年03月13日

不燃ごみ中継所見学会  ~1996年の日記より~

 1月29日、公園の一角に建設された不燃ごみ中継基地(当時の呼称)の操業を始める前の見学・説明会に出席した。会場は地域や周辺の人たちであふれ、ごみ施設について関心の高さを感じた。担当者の話に「4月開園の公園に先立って、この施設は3月から稼動を始めます。環境と緑を重視して屋上は公園になっています」とあった。

 その言葉どおり、稼動実績を見ると、試運転の2月は搬入673.9トン、3月は2949.9トン、4月は2931.7トンとなっている。4月は年度始めとあって、公園の開園も中継所の操業開始も、公式には4月にしたのであろうか。実際は4月より3月のほうがごみの搬入トン数も多い。このことは後に、被害発生が意外に早かったことと関係があると思う。

 ガラス張りの機械制御室はとても清潔で、無知な私たちは「さすが技術の発達はすごい」とまで思った。操業前の作業場は、これからの作業の予測が、説明だけでは理解できないこともあって、何の違和感もなかった。屋上は見晴らしがよく、敷きつめられた芝生も美しかった。「よかった!」今まで心配していたことが嘘のように吹き飛んでしまった。

 本当は何も見聞きしていなかったに等しい。

 夢にも、半年後に呼吸困難のため緊急入院するなど、ましてや、中枢神経機能障害(化学物質過敏症)の診断を受け、井草に住めない体になるとは思ってもみなかった。

 1997年、初冬、わが家族は居住40年の杉並区井草から脱出した。

杉並病 被害者

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