2005年03月27日

健康不調は不燃ごみ杉並中継所が原因  ~1996年の日記より~

 6月19日午後、数十名が杉並中継所に押しかけた。6月中頃に配られた「都市の緑と環境の会」からの健康アンケート調査の内容を見て、体調不良の症状がぴったり当てはまり、自分だけの具合の悪さではないことがはっきりした。前日は頭が朦朧として戸袋の角に頭をぶつけ、左前頭部を3針縫合する怪我をしていたが、皆同じ考えらしく、日時を決めての集まりとなったのである。遅れて杉並区の職員も姿を見せた。

 会場で話を聞いているうちに、今まで感じたことのない薬品の焦げるような臭いがして、気分が悪くなり途中で逃げ帰った。後日、中継所から帰宅後、鼻水が止まらなくなったり、咳が続いたりした人が幾人もいたことを知った。

 中継所側は「小型車で収集してきた不燃ごみを搬入し、圧縮してコンテナ車に積み替えるだけの施設に何もおきるはずがない」というが、量にしてプラスチックが約74%もあるのだから、専門家は「摩擦によって化学反応を起こす」という。他にも、何かあるかもしれないと疑うのも当然であろう。

 具合が悪いと言う人たちと話し合ってみて、いろいろなことが分かった。鼻水や咳だけではない。私のように頭が朦朧として怪我をした人が多い。階段を上るのに、あげたはずの足が上がらず前につんのめる。降りる時も足がもつれて転がり落ちて骨折。感覚が狂って、持ったはずの煮えたぎった鍋を落として大やけど等々。私は夜になると胸が痛かった。呼吸も苦しかった。足ばかりではなく内臓までつった。前述の初めての健康アンケート調査の結果によると、回答の症状は多岐にわたり尋常ではなかった。

 6月下旬、だるくてだるくて、他人のような体をもてあましながら、これで最後になるかもしれないと高校のクラス会に出席した。山々に囲まれ、石垣で有名な篠山城に近い実家からすこし行くと、田園が広がり丹波盆地の風景が開ける。今まで何度来ても、当たり前と思っていたのに、空気のおいしさに驚いた。草いきれ、樹々の香りが頭の芯まで通る。本当においしい。かつては井草だって外出先からどんなに疲れて帰って来ても、井荻の駅に降り立つと、夏でもひんやりした空気が頬をなでて、ほっとしたものだった。いつの間にか、大切なものを忘れていたことに涙した。

 丹波から帰ると、一旦良くなっていた身体は、坂道を転がるように悪くなり、救急車で入院、一週間後の退院は井草のわが家ではなく萩山へ。そして小平へと移った。

2005年03月21日

異臭と浴槽の変色  ~1996年の日記より~

 5月22日。朝から雨が降った。日中は特に激しく降った。午後、雨上がりの公園南西角の周辺で強烈な異臭が発生。井草森公園に面した住宅2軒のホウロウ製の浴槽が、水を張った上側だけ茶色に変色した。外出先から帰宅した家人が通報して、警察や東京ガスが出動し大騒ぎになった。

 この住宅のある公園南西角は、杉並中継所方面から流れる下水管が分流する場所にある。一度に大量の雨が降ったため、下水管にたまったガスが配水管を通って溢れ出したのであろうということである。詳細は不明。

 それにしても、ごみ処理に使った汚水を、そのまま住宅地の生活排水の下水管に流していたとは驚きである。7月初旬の中継所の汚水の水質検査では、「本来出ないはず」という総水銀とPHが「下水排除基準値」を上回っていた。8月1日に下水道局の立ち入り検査を受け、13日には下水の排出をストップした。汚水は年度末の3月に汚水槽を改善するまで、バキュームカーで吸い取り処分場まで直接運ぶことになった。

 下水の問題だけでなく、ずさんな工事を、施設の他の箇所についても疑ってみたくなったのは私だけではあるまい。そしてこの浴槽の変色と強烈な異臭が起こったことで、東京都は、後に開かれた「杉並中継所周辺環境問題調査委員会」において、中継所周辺の健康被害を見当はずれの硫化水素説に導いていったと考えられる。

 この頃になると、住民の間で「中継所周辺の空気がおかしい」と囁かれ、中には訳も分からず具合が悪くなって、友人の家を転々としたり、ホテルに泊まったり、健康だった人が入退院を繰り返した例まである。

 6月19日には説明を求めて、杉並中継所に数十名が押しかけた。

杉並病 被害者

2005年03月13日

不燃ごみ中継所見学会  ~1996年の日記より~

 1月29日、公園の一角に建設された不燃ごみ中継基地(当時の呼称)の操業を始める前の見学・説明会に出席した。会場は地域や周辺の人たちであふれ、ごみ施設について関心の高さを感じた。担当者の話に「4月開園の公園に先立って、この施設は3月から稼動を始めます。環境と緑を重視して屋上は公園になっています」とあった。

 その言葉どおり、稼動実績を見ると、試運転の2月は搬入673.9トン、3月は2949.9トン、4月は2931.7トンとなっている。4月は年度始めとあって、公園の開園も中継所の操業開始も、公式には4月にしたのであろうか。実際は4月より3月のほうがごみの搬入トン数も多い。このことは後に、被害発生が意外に早かったことと関係があると思う。

 ガラス張りの機械制御室はとても清潔で、無知な私たちは「さすが技術の発達はすごい」とまで思った。操業前の作業場は、これからの作業の予測が、説明だけでは理解できないこともあって、何の違和感もなかった。屋上は見晴らしがよく、敷きつめられた芝生も美しかった。「よかった!」今まで心配していたことが嘘のように吹き飛んでしまった。

 本当は何も見聞きしていなかったに等しい。

 夢にも、半年後に呼吸困難のため緊急入院するなど、ましてや、中枢神経機能障害(化学物質過敏症)の診断を受け、井草に住めない体になるとは思ってもみなかった。

 1997年、初冬、わが家族は居住40年の杉並区井草から脱出した。

杉並病 被害者

2005年03月12日

杉並中継所とは

・井草森公園の西北の一角に、ごみ輸送車の台数を減らす目的で建設した地上1階、地下2階のごみ施設。

・収集車で集めた不燃ごみを圧縮して大型コンテナ車に積み替え、処理センターに輸送するための施設。

はじめに

 1996年4月に不燃ごみ杉並中継所が操業を始めてから9年にもなる。状況は現在も9年前とまったく変わっていない。変わったとすれば、下水設備を改善したこと換気塔にフィルターを付けたことぐらいだろうか。そして、地域の人の杉並病は終わったという安心感と、杉並病問題に対して無関心になったことである。その一方で、重症化していく被害者と転入者の中に新しく発症する人が出ていることを忘れてはならない。

 2000年10月、杉並区が事実上の安全宣言をし、2002年6月には公害等調整委員会において「中継所周辺の健康被害は中継所から排出の化学物質による」と因果関係を認められたものの、「現在は鎮静化している」という内容の裁定が下っている。このため、天気の良い日や休日には、隣接する井草森公園は多勢の人で賑わっている。私は心配で仕方がない。
 9年間、私の見てきたこと、聞いたこと、考えたこと、また被害者として体感したことを追ってみたいと思う。

杉並病 被害者