2005年05月15日

杉並病は今も続いている

 不燃ごみ杉並中継所から被害を受け、小平での避難生活を経て、娘たちと練馬区で生活を始めてから3年が過ぎた。1996年の中継所の操業から9年の歳月が流れたことになる。公害等調整委員会の裁定があり、損害賠償の話があったにもかかわらず一向に事態は好転していない。今の住居は中継所から2kmしか離れていない割に、化学物質過敏症の身にとって許せる空気ではあるが、井草の状況が手に取るようにわかるのは悲しい。東風に乗って流れてくる汚染空気を感知して、井草森公園や周辺の植栽の手入れ、度々の運動場の芝刈りなど察してしまう。

 2003年に行った「杉並病をなくす市民連絡会」の健康調査によると、被害者の分布は中継所を中心に数を増し拡がっている。そして倦怠感や朦朧感、針に刺される感じなど、内科医の大谷先生が公害等調整委員会で証言されたような重症者の割合が高くなっている。その上10代の女性にまで鼻下や顎の鬚などの訴えがある。

 Sさんは雨が降る前の空気の重い日や気温の上がる時の外出を控えているが、やむを得ず外に出ると体中に木綿針が飛んでくる感じがして涙が溢れ出すと話す。ある人は自転車に乗っているとき、車を避けようとして混乱をおこし、逆にこちらから車にぶつかっていってしまったという。なんともやりきれない恐ろしい話である。多くの方が空気の悪さも感覚の異常にも気づいていないように思う。杉並病を考える学習会で「重症者の中には汚染空気を感じない人がいる」との講師の話が実感として伝わってきた。

 体がだるくてだるくて仕事もできず、病院の検査でもわからず、家人にも理解されずに亡くなった男性。具合が悪くても検査の結果は異常なし、何がなんだかわからぬまま、救急車も間に合わず亡くなった女性。肺が悪くて入院し、肺が白くなって病名もつかぬまま死亡した60代の女性2名など数え上げればきりがない。
 杉並病は転居しても即、治癒する性質の病気ではない。次から次と変わった症状が出てくるのが特徴でもある。肺の変性上皮細胞炎の診断を受けた私は、前向きに懸命に公害と闘うことで克服できたことを幸いに思う。

 Sさんは病んだ身体で季節ごとに植物の写真を取り続けている。自宅を開放しての写真展を見るに、樹木の傷みや汚染空気の流れが一目瞭然である。彼女は「植物の傷みの激しい所には必ず病人がいる」と言い切る。そして植物の葉や窓ガラス、家の外壁、塀などに小さなピカピカ光るものがいっぱい付着していることを不思議がっている。

 杉並病は終わったのではない。現在も空気の汚染が続いていることを認識し、一人ひとりが自覚しない限り、症状や事態は悪化し問題の解決は遠くなるばかりである。