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2006年11月14日
声を受け止め、可能性の翼を守りたい
連日、小学生や中学生の自殺という悲しいニュースが報道されています。その主な原因は「いじめ」によるものですが、兵庫県尼崎市でも「いじめ」ではないとされていますが中学3年生の男子が自殺しています。
ここ一ヶ月の間に・埼玉県本庄市の男子中学生・大阪府富田林の女子中学生、北九州市の小学校5年の女子、岐阜県瑞浪市の女子中学生、福岡県筑前町の男子中学生生徒、北海道滝川市の小学校5年の女子、兵庫県尼崎市の男子中学生の7人の尊い命が失われました。そのほかにも北海道江別市の女子中学生の自殺未遂のニュースも報道されています。
練馬区でも緊急のいじめ調査を行っていますので、16日に開催される文教委員会では「いじめ」についてが議論されると思います。
「いじめ」をめぐっては近年、陰湿性が高まっているなど言われていますが、少なくとも今のニュースを見ていると私が中学生だった18年前とほぼ同じ「いじめ」が行われています。そのことから言えばその当時から大人は問題を改善できていなかったことが言えるのではないでしょうか。
今の国会や政治家がこれほどまでに子どもたちからの命をとしたメッセージが出ているにもかかわらず、党利党略のためといわんばかりの政治的駆け引きを繰り返しているのを見ると怒りすらわいてきます。
いじめに会っている子の心というのは本当にボロボロです。その子たちの「気持ちを分かる」ということは生半可なことではできません。ですが話を聞き、バックアップすることはできることです。
なぜなら実際に私も中学のときはかなりの「いじめ」的なものを受けました。そして私の中学校では金銭要求的ないじめを受けている子も数人いました(数十万だったと記憶しています)。私は性格的なもので自分の中に入り込むことはなかったのですが、たとえば中学3年生のときには私の机は「真っ白」でした。これは机の落書きをベンジンで消すと机の色もはがれて白くなるものでそれも一度ではなりません。何度も何度も消していると白くなるのです。書いたあった内容は「死ね」「殺す」「ぶっ飛ばす」「くさい」などなどだったと思います。
また、夏休み明けには机の引き出しにゴキブリの死骸などを入れられていたことも鮮明に覚えています。このようなこと以外にも授業中廊下から大きな声で誹謗中傷を加えられたりすることもありました。もちろん上履きを隠されるなど日常茶飯事でしたので来客用のスリッパを勝手に履いていたりしたものです。幸い当時私はスポーツをしていて背も高く肉体的にも発達していたので暴力によるものや、金銭の要求などはありませんでしたが、暴力で跳ね返すと結局は群れになって襲い掛かってきたり、先輩を引き連れてきて来たりするのが分かっていたので放置していたのです。
このような現状から当時の担任には私の住む自宅のエリアが他の学校の学区域になっていたため、転校を何度も申し出ましたが、問題を解決もしなければ、申し出を受けてもくれませんでした。その当時の練馬区教育委員会は「いじめ」とも把握していなかったと思います。また、よく親に相談ということも言われますが私の家は兄は暴走族で年子の弟も暴走族、小学低学年の弟もおり、さらには自営業ということもあり相談できるような家庭ではありませんでした。
一方で「いじめ」を行っている側に対して憎しみを抱きながらも葛藤にも悩んでいました。なぜなら「いじめ」をするいわゆる不良グループの子達は小学校で一緒にサッカー部をやっていた仲間がほとんどで、中学でも途中までは本当に仲のよいサッカー仲間だったからです。いつからかお互いの歩む道が変わり始め、また成長による考えかたの変化なのか、そのギャップが仲間だったもの同士が憎しみあう構図になってしまったのではないかとも当時中学生ながらも思ったりもしていました。
そのことから中学校には本当にいい思い出はないのですが、だからといって腐ることも嫌だったという私の性格や学校内では私をかばえば自分もやられると親しくしていない友人たちも放課後などは勉強の遅れていた私に自宅まで来て勉強を教えてくれたりする素晴らしい友人がいたことが心の支えになっていました。友人には今でも感謝しています。
まだまだ細かいことを書けばいろいろありますが「いじめ」というのは思春期で心が不安定な時期には起こりやすいものであり「いじめ」にあっている子が心の中に抱える傷というのはそう簡単に癒せるものでもなく、またそういう子は「裏切られる」ことに非常に臆病になっているため、なかなか口には出せない環境にあることが多いのです。
だからこそ大人が真剣に受け止め本当に守ってあげなければいけない。そうしなければ「いじめ」にあっている子の心に「人を信じること」の素晴らしさを伝えることはできないと思うのです。
「いじめはない」と行政や政治、教育関係者は良く言いますがそれは「いじめが見えていない」の勘違いであるといえます。
そのような「ことなかれ主義」は本当に終わりにしなければならないと思うのです。
今、私は政治家となりましたが、なぜなったのかの原点にはこうした経験があったことによる影響も大きかったと思います。そして中学生だったころ、運動会のイベントなどで来賓としてヘラヘラしている政治家を見て「偽善者め」と憎しみすら覚えていました。だから自分はそうなってはいけない。本当に痛みを共有し心の支えになる政治家にならなければならない。今昔を振り返りながらブログを書いていて心のそこからそう思います。
8年連続自殺者が3万人を超える世界的にも異常ともいえる自殺大国日本は子どもも大人もみんな生きにくい社会なのかもしれません。ですが、だからこそ変えられるという希望をもてるのではないでしょうか。諦めてしまえばそこですべてが終わりです。一人ひとりが声を出すことですぐにではなくても必ず変わるはずだと私は信じています。
投稿者 takao
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» アンパンマンは君のなかに from やわらかい世界のしっぽ
なにが君の幸せ、なにをして喜ぶ?
わからないまま終わる
そんなのはイヤだ
忘れないで夢を こぼさないで涙
だから君は飛ぶんだどこまでも
↑歌... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年11月19日 22:56
ご意見欄
はじめまして。練馬区の公立小学校に子供が通っています。うちの子はいじめにあっています。いじめや「いじめ」と認識してもらえない被害は、実は驚くほどたくさんあるのです。
学校にも何度も相談しながら、いじめがなくなるよう親としてできることはやってきましたが、根本的な解決には至っていません。
なぜいじめがなくならないのか、私はやはり学校側の姿勢にあると思います。担任から「お宅の子供にもいじめられる原因はある」と言われました。確かに、集団を好まない子ではありますし、他の子とは明らかに違う性格の持ち主なので、目立つのでしょう。しかし、そういう性格といじめを関係づけることには、どうしても納得できないのです。
学校は、友達がたくさんいる子、元気な子、言いつけを守る子を「良い生徒」と思っています。いじめをしている側の子はそういう子です。うちの子は、そういう意味では「良い生徒」ではないです。でも、親のひいき目かもしれませんが、高学年に集団でからかわれている下級生を助けたり、よせと言うのにホームレスにアメをあげたり、やさしい子だと思います。そいうった面を学校で評価されたりすることはまずなく、「キレやすい」「協調性がない」という負の面だけ言われてきました。そういったところは、家庭で教え、今はキレやすい部分はなくなりましたが、実は、いじめられてキレた、いじめられているから集団から離れているというのが事実なのです。しかし、学校側は行動しか見ません。原因を聞き取ろうともしないし、教師が見ていないところで起こることは、把握できていない、把握しようともしていない、というところです。
今、うちの子はクラスの中で人権がありません。物のように扱われ、ストレスのはけ口にしかなっていません。子供は容易にそういった行動をとります。だから、人権の教育、思いやりの教育が必要なのだと思います。また、いじめている子にも明らかにストレスがあります。これに学校も親も、気づいていないのです。
「子ども達に必要な教育とはなにか」を改めて考えてほしいと思います。そこが抜けているから、学校という場所でだけいじめが起こるのです。子供達の心に本気で目を向けてほしいです。学校で事なかれ主義がはびこり、心の問題に見て見ぬふりをし続ける限り、不幸な子ども達を量産することになります。
うちは、「学校なんてなんぼのもの」という風に思うようになりました。親がちゃんと子供の心と向き合っていれば、大丈夫、と思えるようになりました。学校にはこれ以上期待できないので、早急に我が家としては抜本的対策を取ることとしましたが、うちの子がクラスからいなくなれば、新たないじめのターゲットが生まれるだけです。いじめている子が抱えている心の問題は放置されたままになります。議会でも教育委員会でも、学校でも、本気で考えてください。議会では是非、教育相談室やスクールカウンセラー、学校に寄せられた相談を把握してほしいと思います。その多くが隠され、ごまかされていることに気が付くはずです。
長くなり申し訳ありません。子ども達は毎日学校に通っています。その日数・時間と等しく心に傷を負い続けている子供がたくさんいます。早急な取り組みを是非お願いします。
投稿者 いじめはある : 2006年11月14日 12:26
野崎さんの勇気ある告白に本当に感動しました。自分の弱みを率直に人に話したり、過去のつらい記憶に正面から向き合うのは大きな勇気のいることです。野崎さんの本気を感じました。
自分も小学校から中学の頃は肥満児だったため、どちらかと言えばいじめられっ子でした。「デブ」と罵声を浴びたり意味も無く突然蹴りを入れられる程度で、成人した今思えばたいしたことはないのですが、当時は本当につらかったのを覚えています。
それでも毎日学校に通えたのは、話を聞いた私の父が小学校に怒鳴り込んだというちょっとした事件があったからです。もちろんそれでいじめが無くなるということはなく、逆にいじめの材料にされたりもしたのですが、それからは「自分に何かあれば両親が本気で守ってくれる」という安心感が大きな心の支えになりました。最後は家に逃げて帰れる、だから今日も勇気を出して学校へ行こう、そんな気持ちだったと思います。
子どもが未熟な存在である以上、どんなに「心の教育」に力をいれようが、規律・規範でがんじがらめにしようが、いじめはなくならないかもしれません。大人の社会でも他者を分類し区別し差別する、異質な人・集団を排除するのはよく見られる光景です。
そんな世の中で大人に求められているのは、いじめを受けている子どもを、どこにも逃げ場の無いところまで追い詰めない、逃げ道を用意してあげる、そういう種類の努力だと思います。
いじめに立ち向かえる強さを持たない子どもはたくさんいます。いじめられっ子はいつも逃げ道を、自分を受け入れてくれる安全な場所を求めています。それは家族だったり、友達だったり、仲間だったり、先生だったり、自分のことを真剣に考えてくれる他人だったりします。そしてその場所は多ければ多いほど良い。
議会も行政も学校も教育委員会も家庭も、「それは自分の役割ではない」と他人まかせにせず、それぞれの場所で子どもたちに向けて「世の中には嫌な事も多いけれど真っ暗闇ではないんだよ、君がつらい時は私が本気で守ってあげるからね。」そんなメッセージをもっと発信していくべきだと思います。
投稿者 毎日勉強 : 2006年11月14日 13:47
今日のブログはとても重い内容ですが、今、本当に考えていかなければいけない問題だと思います。まず自殺報道ですが、これは控えた方がいいのではないかと思います。連鎖的に
自殺が続くので・・。あといじめ調査ですが、アンケートなどはあまり意味がないと思います。
本当のことを書かないと思うし。あと大事なポイントは「子どもたちの世界と大人たちの世界」があるということです。だから、いじめは発見されにくいと思います。
とても大胆な意見だと思いますが、いじめがひどい場合は、学校に行かなくていいと思います。学校が対処をしてくれないのであれば、自己防衛するしかありません。やっぱり、親が子を守るしかないと思うのです。それから協調性のことですが、できればあった方がいいですが
なくても生きていけます。絶対必要なものではないと思います。
いじめはあるさん、お子さんのやさしさを大切にしてください。そして毎日ハグしてあげてください。
投稿者 アッキー : 2006年11月14日 21:00