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2004年05月04日

不登校とは・・・

4月27日の今日の一言で不登校の現状についてお伝えしましたが、今日「不登校の真実」という映画を見た後に参加者とディスカッションをしてきました。

ディスカッションでは、実際映画のモデルとなった方のご意見が中心でしたが、何点か気になる言葉がありました。まず一つ目は「学校以外の選択肢がない現状では、学校に疑問があれば不登校になってしまう。選択肢がもっとあっていいのでは・・・多様な生き方を考えていく必要がるとおもいます」という言葉で、確かに多様な生き方ができるに越したことはありませんし、そのような選択肢を認め増やしていくことは必要不可欠なものです。しかし、そのための具体的な手段となるとなかなか意見がまとまらないのがこの問題の根の深さなのだとも思います。

二点目は「不登校の子が自立できるのかというが、例えば経済的自立であれば、権利として生活保護もあるから親の過剰な自立への心配はないのでは・・・」という言葉です。この言葉を聴いたとき正直耳を疑いたくなりました。生活保護というのは、生活に困窮した方が自立を目指すまでに必要最低限の生活を保障するための制度であり、安易に、生活に困れば生活保護と言う考え方は、あってはならないと思うと同時に、それは経済的自立とは言わず、問題の先送りとしか思えません。(誤解を招かないように補足すると、発言した方は不登校を克服し現在フリースペースなどの活動を行っていると同時に教壇にも立っている方でしたので、あまりにも影響が大きい言葉と思って耳を疑いたくなったということです。)
では、どうすれば良いのか、ここでも正直妙案は浮かんでいません。

ですが、このような映画が作られ、当事者の方々と問題意識を共有しながらディスカッションを行っていくことは、問題解決へ向けたヒントを生み出す貴重な場であると思いますし、多くの方にこの映画を見てもらい、一緒に考えていけたらと思います。

それともう一つ不登校という問題を考えるときにいつも気になるのが、まず言葉の問題です。
不登校とは「学校に行きたくても何か理由があり学校に行けない人」と言われていますが、その点からすると行かない理由があり学校に行かないのならば登校拒否という言葉のほうが適切だと思うのです。様々な分野で不登校と登校拒否の違いについては議論されていますが、不登校の不の意味がもし不明ということであるならばそれこそ、問題を真摯に見つめることを避け、言葉で問題点をぼやかしているように感じてしまいます。
さらに問題だと思うことは不登校と登校拒否という問題を語るときに精神医学など医療の専門的な議論になってしまっていることです。実はこのことは大きな弊害を生む危険性があり、議論だけがどんどん先走ってしまい、実は問題はもっと簡単なとこにあるといった灯台下暗しの現象を生み出してしまう可能性があるからです。

いろいろと考えなければいけないことは山ほどありますが、一番大切なのは不登校になってしまった当事者の方に対して、社会が学校に行かないのは悪だと批判する雰囲気をなくし、温かく見守っていくことではないかと思うのですが、皆さんはどう思いますか?

投稿者 takao : トラックバック (0) : 子育て・教育 : にほんブログ村 政治ブログへ

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